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2013/05/10

31262:

Just look at the size of those things

(via kanabow)

2012/11/03

(Source: yeafunfuckintastic, via meowell)

“ 「僕はエレクトロニックミュージックが
本当の意味で“パフォーマンスライブ”になる
とは考えていない。
エレクトロニックミュージックは
ライブミュージックではない。
結局のところ常に何かをトリガーするだけだ」 „

RA: Amon Tobin:カオス理論 - Interview (via loopdrive)

(via loopdrive)

“ 安っぽく、場に合わないどころか自分にすら合っていない服で埋め尽くされたエライザのクローゼットは、私の数年前のクローゼットと同じだった。泣けた。30も過ぎて自分に似合う服がなんなのかもわからない、今日何を着ればいいかもわからない、それなりにお金も使ってきたのに、一枚も自信を持って着れる服がない。たかが服のことだけど、それは自分自身にまったく自信を持てないこととほぼ同義だ。外に出るとき、服は肉体そのものだし、それを選んだ自分の知性を示すものでもあるからだ。 „

http://d.hatena.ne.jp/mamiamamiya/

“ 

コントロール・フリークの真実
――『バッファロー’66』(1998)
 監督、脚本、主演、音楽をひとりでこなした映画『バッファロー’66』が話題のヴィンセント・ギャロは、実にユニークな経歴の持ち主だ。 1961年、ニューヨーク州バッファローに生まれたギャロは、16歳で故郷を後にし、ニューヨークのアンダーグラウンドの世界に飛び込む。 以来彼は、ミュージシャンとしてバスキアとバンドを結成し、画家として個展を開き、プロのバイクレーサーになり、俳優としてエミール・クストリッツァやアベル・フェラーラの映画に出演し、 モデルとしてCFに登場し、ハイファイ機材の批評も手がけるなど、多彩な活動を繰り広げている。 『バッファロー’66』は、彼がそのマルチな才能を映画という表現に凝縮した作品といえる。

 ギャロはこの映画の成功によってこれまで以上に注目を集め、時の人となった観があるが、そんな彼が感情をむき出しにして批判するのが”トレンディー”映画だ。

「オレが嫌いなのは、ハーモニー・コリンの『ガンモ』みたいにトレンディーなだけの映画だ。コリンは最低のクソ野郎だし、 『ブギーナイツ』のポール・トーマス・アンダーソンやタランティーノも話にならない。あんな作品を作る連中は、人類の進化に貢献することもなく、商業主義に乗っかってるだけなんだ。 作品のコンセプトも映像言語も既成のものを焼き直しているにすぎない。日本人の観客は作品を見る眼を持っているけど、トレンディーなものに弱いところがあって、 コリンのダサい映画まで追いかけてしまうんだよ」

 ■■ギャロの独自の美学とは■■

 このコメントはあまりに感情的で、これだけではただトレンディーな映画と創造的な映画の違いは判然としないが、 ギャロは自分の表現に対して常に独自の美学というものを持っているように見える。たとえば彼は、俳優というものをアクターとムーヴィースターに分け、 演技者としてアクターではなくムーヴィースターであることを心がけているという。

「アクターというのは、俳優として認められるために何かを証明しなければならないような仰々しさがある。 演技にとりつかれているんだ。25年前にデ・ニーロが出てきたとき、彼はムーヴィースターだった。カリスマがあり、イカしてた。 でも演技にこだわりだして、どんどんアクターに変貌し、オレは耐えられなくなった。デ・ニーロになりたいっていう若い連中がたくさんいてうんざりするよ。 演技があまりにも芸術的になると映画のなかでは生きないんだ。その点、ウォーレン・ベアティは素晴らしかった。彼はどんな作品でも自然体でフィルムメイカーと協調関係を築き上げていた。 ムーヴィースターというのは、人類の進化のなかに無理なく適応しているコンセプトなんだよ」

 ギャロが頻繁に口にする”人類の進化”という言葉については首をひねる読者もいるかと思うが、 その意味するところについては彼の美学がもう少し明確になってからあらためて考えてみたいと思う。というのも彼は、これまで俳優として出演した映画については必ずしも満足していないからだ。

「オレはクストリッツァのそれまでの3作品を素晴らしいと思い、『アリゾナ・ドリーム』に出演したんだが、6ヶ月かけて撮影された27時間のオリジナル・カットが2時間に編集されたとき、 オレのパフォーマンスが台無しになってしまった。この苦痛は言葉にしがたい。アベル・フェラーラは独自のヴィジョンを持った本当に素晴らしい監督だと思う。 ただ『フューネラル』で残念だったのは、撮影中に彼のヤク中がどんどんひどくなっていって、彼が思い描くヴィジョンを完璧に表現できない状態になってしまったことだ。 オレは監督として個々のパフォーマンスから最良のものを引きだす能力を持っているし、『バッファロー’66』では映画を自分で完璧にコントロールすることができた」

 ■■不毛なサバービアの恐怖■■

 『バッファロー’66』の物語は、ギャロ扮する主人公ビリーが、5年の刑期を終え、自由の身になるところから始まる。 彼はバッファローの両親の家に戻ろうとするが、両親に電話したときに厄介な問題を抱え込んでしまう。結婚して政府の仕事で遠くへ行くことになったと嘘をついていた彼は、 話の成り行きで妻を連れて帰ると口走ってしまうのだ。困り果てた彼は、ダンススクールのレッスンに来ていた見ず知らずの娘レイラを拉致し、妻に仕立てようとする。 映画はそんな滑り出しから風変わりなラブ・ストーリーへと発展していくことになる。

 このドラマには、バッファローで生まれ育ったギャロの実体験が反映され、映画の中心的な舞台となる家は、かつて彼と両親が実際に暮らしていた家が使われている。 そんな映画からは、テレビにファミリー・レストラン、ボーリング場、ストリップクラブくらいしか娯楽がなく、 ヒーローになりたかったらボーリングの腕を磨くしかないようなサバービア(郊外住宅地)の日常が浮かび上がってくる。

「オレは低所得者たちが暮らすバッファローのサバービアで育った。映画に出てくるあの家だ。そこにあるものはすべてくだらない。 若い頃は、セックスとか盗みのような犯罪がとても刺激的に見えた。なぜならどいつもこいつも、ソファーに座ってテレビにかじりついているだけだから。 本当に悲惨な世界だった。バッファローでは一年の半分が雪との戦いなんだ。だから女のパンティを脱がしたり、物を盗んだりするしかないんだ。恐ろしい町だよ。本当に恐ろしい」

 映画のなかで、家に戻ったビリーに対する両親の態度は決して暖かいものではない。母親はテレビのアメフトに熱中し、父親の態度には息子に対する敵意が見え隠れする。 そんな家族の姿から察せられるギャロの少年時代は明るいものとは言いがたいが、ニューヨークに自分の居場所を見出した彼は、なぜそんな過去を振り返ろうとするのだろうか。

「オレはひとりの人間として自分がそれほど面白い人間だとは思わない。ばかげたエゴやコンプレックス、怒りや強迫観念にいつも振り回されている。 しかし明確なヴィジョンを持った映画を作ることによって、そんな自分というものを乗り越えられると思う。そこにオレが映画を作ろうとする動機があるんだ」
 ■■コントロールする欲望の原点■■

 サバービアの生活は、いろいろな意味でギャロの創作に影響を及ぼしているように思える。たとえばそれは、主人公ビリーの潔癖症ともいえる性格だ。彼は出所直後に尿意をもよおすが、 少しでも人目があると用が足せないらしく、必死にトイレを探しつづける。レイラを拉致した彼は、彼女のクルマに乗り込むときにフロントガラスの汚れに気づき、 緊迫した状況であるにもかかわらず、彼女にきれいにするよう命じる。さらに彼は、自宅のベッドルームから仲間に電話した後で、ベッドカヴァーの皺をきれいにのばすのだ。

「まず最初に、そのことに触れてくれたことにお礼を言うよ。これまでのインタビューで一度も尋ねられたことがなかったから。オレは病的な習慣について考えていたんだ。 もしオレがああいうとんでもない両親と生活していたら、どんな習慣が生まれることになるかってことだ。これは、怒りに駆られる人間がどうやって体系的に自分をコントロールし、 人生の苦痛を生き延びる道を探し出すかという社会学的なコンセプトに基づいている。仲間に電話した後の主人公の行動はまるで精神病者だが、それは同時に自分をコントロールする行為でもあるんだ」

このコメントはとても興味深い。ギャロはアメリカのあるインタビューで、自分のことを”コントロール・フリーク”というように表現している。 これは、自分がすべてを完璧にコントロールすることを求めるということであり、もちろんクリエイターであれば誰もが求めるものではあるのだが、ギャロの場合には、 この完璧なコントロールということがもっと特別な意味を持っているように思える。彼には、コントロールに対するオブセッションがあり、それが映画の主人公の心理から映像表現にまで深い繋がりを持って反映されている。 この映画では、ビリーとレイラ、彼の両親の4人が食卓を囲む場面、ビリーがファミリー・レストランで昔の彼女に遭遇する場面、ビリーとレイラがスピード写真を撮る場面などで、画面を切り取る構図が緻密に計算され、 登場人物たちの感情の軋みや距離感が巧みに強調されているのだ。

「オレはフィルムメイカーになる前に画家をやっていた。絵画におけるオレの言語は、構図やコントラスト、色彩であり、それは映画の表現に直接翻訳されている。 オレは撮影監督のスタイルを完全に排除し、構図とかをすべて自分で決めてから現場に撮影監督を入れるんだ。この映画では最終的に3人のカメラマンを使うことになったが、映像の違いはまったくないはずだ。 なぜなら、現場で撮影したのはカメラマンであっても、最終的な映画を撮っているのはカメラマンではないからだ。オレは撮影が終わってから1年かけてそのフィルムをどのように発展させるか考え、大きく手を加えている。 だから、この映画を観て撮影が素晴らしいと言われることがあるが、それは撮影ではなく、様々な要素がまとめあげられた映画なんだ」

 ギャロが撮影後のフィルムを具体的にどのように発展させているのかということに話を進める前に、筆者が興味をおぼえるのが、ギャロとデイヴィッド・リンチの感性の共通点だ。 リンチもその独特の感性の出発点に(特に50年代の)サバービアの世界があり、また画家であることが映画に少なからぬ影響を及ぼしている。そういう意味で、ギャロがリンチの映画をどう見るのかぜひ尋ねてみたいと思ったのだが、 彼はこれまでにまったく別の次元でリンチとの共通点をうんざりするほど指摘されているらしく、リンチの名前をあげただけでこんな答が返ってきた。

「オレはリンチをフィルムメイカーとしても人間としてもまったく好きになれない。彼の作品はほとんど観ていないが、『イレイザー・ヘッド』は耐えがたい。 オレは7千本の映画のヴィデオをコレクションしているが、そのなかのどんな監督や映画の影響も受けていない。映画はあくまでファンとして観るんだ。野球だったらオレはミッキー・マントルが好きだったが、 自分が野球をやることになってもマントルと同じようにプレイするわけじゃない。自分が野球はこうあるべきだというプレイをするんだ。映画に風変わりなキャラクターが登場すると、みんながそろってリンチの影響だという。 しかし、あのクソ野郎があの胸くそ悪くなる作品でデビューする前から映画にそんなキャラクターは存在していたんだ」

 ■■ギャロが試みる映像と音楽の冒険■■
 風変わりなキャラクターが登場するだけでリンチの影響にされては確かにたまったものではないが、筆者としては、サバービアで培われた感性が視覚的にどのような発展を見せていくのかという意味で、 ふたりの世界を対比してみるのは面白いと思う。共通する背景から発展する方向性の違いがより明確になるからだ。ギャロがこの映画で試みる映像の冒険は明らかにリンチとは違う。

「この映画は、テレビで放映されるときに構図や色彩がどのように変わるのかということまで計算して作ってある。普通の映画作りでは絶対に無理なことをやっているんだ。 フィルムをテレビのフォーマットに変換するために、1時間で800ドルもとられるパネル・スキャンという装置を使い、4週間と4万ドルを費やして、テレビにもフィットする作品に仕上げた。 この映画はある意味では、テレビやヴィデオで観た方が完璧という部分もある作品になっている。パネル・スキャンというのは、普通は最初の2分くらいで色調などを調節して、単純に映画をテレビのフォーマットに変えるだけの装置だが、 オレはそれで毎日自分の映画を見つづけ、すべてのカットの構図や色調について細かくメモをとり、調整していった。だからどのカットも違う色を持っているし、完璧で美しいんだ。 それはもう撮影監督が撮った映像とはまったく違うものになっているんだ」

 多くの映画監督は、映画とテレビを別のメディアと考えていると思うが、ギャロはそこに境界を設けることなく、映画をテレビと結びつけることによって、自分が完璧にコントロールすることができる環境を作りあげてしまう。 このようなテレビに対する意識は、誰もがテレビにかじりついているサバービアの生活を彼が嫌悪していたことを考えると意外な気もするが、彼の膨大なヴィデオのコレクションが物語るように、 彼にとって映画とテレビやヴィデオは非常に近いところにあるメディアなのだ。

 そんなふうに既成の境界を消し去ってしまうようなアプローチは、音楽に対する彼の感性にも現れている。『バッファロー’66』のサントラでは、ギャロ自身の音楽とキング・クリムゾン、 イエスやスタン・ゲッツが違和感なく並んでいるのが印象に残るが、音楽生活の方でも彼はそのコントロール・フリークぶりを遺憾無く発揮している。

「オレは1万5千枚のアルバムを持っていて、そのジャンルは何でもありだ。この2、3年のあいだでオレがいちばん面白かったことは、アメリカをクルマで横断したことだ。ニューヨークとロスを往復するんだ。 その途中でレコード屋に立ち寄って、持ってないアルバムは片っ端から買いまくる。カントリー&ウエスタン、クラシック、ポップス、ディスコ、持ってなければ何でも買う。 それから家に戻って、全部聴いて、最高の曲や曲の一部、瞬間だけをテープに再編集する。つまらないレコードから最高の瞬間をとらえたテープが出来上がるのさ。 それは最高にファンタスティックだ。どんなつまらない曲にもイケてる瞬間ていうものがあるってことさ」

 ギャロにとって、「人類の進化」に貢献する表現とは、これまでにない独自の言語をあみ出すことだといってよいだろう。彼は、好きな監督としてブレッソンやパゾリーニとともに小津をあげ、こんなふうに語る。

「オレは昔、パリで行われた小津の回顧上映に20日間毎日通い、40本の作品を観た。字幕はフランス語だから、言葉などはまったくわからないし、あらすじのパンフもなかった。でもそれはオレの人生のなかで最高に素晴らしい瞬間だった」

 『バッファロー’66』で、主人公ビリーは、潔癖症の習慣によって自己をコントロールしようとし、ギャロは、監督、脚本、主演、音楽のみならず、撮影までも完璧にコントロールする。 この映画の言語をユニークなものにしているのは、不安定な自己を乗り越え、世界との調和を求めようとするギャロの強烈なオブセッションなのだ。

 „

ヴィンセント・ギャロ・インタビュー 『バッファロー’66』 取材・文:大場正明

“ 成功したプロダクトが善のイデアを宿すことは自明ではない。世界は糞壺であり民草は豚だからだ。百万の豚に支持されたことは、それが優れた豚の餌であったことの証左でしかない。聖なるものを犬に与えてはならない。世界を律するのは銃と、病原菌と、鉄だ。詩でも愛でもなく „

Twitter / harutabe: 成功したプロダクトが善のイデアを宿すことは自明ではな …

2012/08/28

素材のアタックを調節するときは、たいていコンプを用いる事になるかとは思いますが、そのコンプが稼働するよりもさらに速く、短い範囲の部分を指しています。


  • 例えば生ドラムのレコーディングを行ったとき。

スタジオではイイ音に聞こえていたけど、持ち帰って改めて聞いてみたら、ヒットの瞬間にとても耳にいたいアタックが入ってしまっていた。コンプで潰そうとしたけども、そうすると全体が潰れてしまって好みのサウンドにならない。

  • 例えば、アコギのマイク録りをしたとき。

全体的な雰囲気はいいんだけど、ピックが弦に触れた瞬間の「カリカリ」という音がどうしても気になる。コンプで潰してしまうとこの「カリカリ」まで強調されてしまうし、かといってオフマイクでレコーディングをすると、どうも音が遠くなってしまう。

  • 例えば、お気に入りのレコードから好きな部分をサンプリングしたいとき。

ドラムとベースの絡みが格好いいフレーズをサンプリングしたいんだけど、ビートがちょっと弱くて使いづらい。できれば、この質感のままビートが前に出てくるような処理をしたい。


こういった悩みを解決できるのが、「トランジエントを自由自在に操る」TransModです。素材のアタック部分を検知して、強調したりソフトにしたり、距離感を近くしたり遠くしたり、なんて事ができるプラグイン。

コンプを使ったときのような飽和感もなく、調節したい位置(トランジエント)「だけ」にかかります。距離感のコントロールもできるため、人によっては全トラックにインサートしている方もいらっしゃいます。TrandModを事前に仕込んでおくことで、オーバーコンプを減らす事もできますよ。

誰かが言う、すべての周波数は平等に創られていると…

ああ、コンプレッサー!なんて素晴らしくしかも邪悪なデバイスだろう。実践的なのに、多くのひどい音のレコードの責任はコンプレッサーにあったりする。そしてリミッターだ、リミッターはみんな大好きだよね?これなしで過ごすなんてとても無理だ。色々なレコードを聞いていると、たまに「僕ならもっとこうすることもできたのに!」なんて思う。

しかしなぜだろう?

アメリカ中西部で古くから言われている「銃が問題じゃないんだドリー、それを使う人間の問題なのさ」。

コンプレッサーとリミッター、銃と全く逆のものだけど、無理なく扱う限り、とても素晴らしい機器だ。問題は、今時無理なくコンプ/リミッターを使うなんて、ほんの少数の人だけ、ということ。もちろん、これを読んでくれているみなさん、君達は善良だ。人を殺めたり、株に投資したり、近所をいたずらしたり、もちろんやり過ぎのコンプレッションもしない…もしくは、やってしまっている?

自分があるセッションを仕切る立場にあったと想像してみよう。照明は暗く、ムードは柔らか、ふかふかのカーペットでハードディスクが静かに回転している音だけが聞こえる。ベースプレイヤーのガールフレンドはすごくホットで、彼は「まさに天才だ、君のアンプをセッションで使いたい」という。人生は素晴らしい…であとから君はベース・トラックを他のパートと合わせて聴いてみる、なんてことだ!ある箇所のノートを演奏した時だけ、ボンボン、ボンボン、とベースが狂ったように突き上げてくる。うわ、どうしよう?

ついこの間買ったばかりのコンプレッサーが君の名を叫んでいる「僕、僕だよ!僕を使いなよ!」で、君はそうする。でもこのノート一個を抑えるには、ものすごくきつくコンプを掛けなきゃいけない。でもそれじゃベース全体の音はどうなる…ちょっと話が細かすぎるって?

さて、もしこのブーミーになっているノートだけを、本来あるべきレベルまで落とすことができたら、素晴らしいと思わないかな?EQで削ってしまうとベース全体のサウンドが細くなってしまう。だからコンプレッサーを使った、でもこれも充分じゃない。

最良の解決方法は、もっと良いベースを持っている腕のいいベースプレイヤーを呼んでくることだ。僕の意見を言わせてもらうと、現代において多くのレコードのサウンドは、エンジニアがこれ以上良いプレイヤーも楽器もない、という状況(まあ、ほとんどの場合がそうなんだけど)をどう解決するか、という点に強く結びついている。

僕自身あらゆることを試してきた。ノート毎にオートメーションを書いて、EQをオートメーションでオン/オフしたり、神様にハードウェアを生贄にしたり、終いにはなるべく問題を無視してマスタリングの人が何とかしてくれるだろうと願ってみたり、等々。あらゆることを試しても得られるミックスの結果はまちまちだった…Oxford SuprEsserを手にするまでは。

ここで例を挙げよう

問題のあるベース・トラックを取り上げる (みんな絶対に一つくらいは持っているはずだね)。お気に入りのコンプレッサーで、サウンドがいい具合に均一になるまで潰して…うん?どうしてもそうならないって?コンプレッサーが許す限りギリギリまで叩いてみよう。クール!ベースパンケーキの出来上がりだ。必ずコンプ前/後のレベルを揃えて、どれくらいひどいことになるか、A/B比較するのを忘れずに。

じゃあ、ここでSuprEsserの登場だ。ベース・トラックに使うときは、ローレイテンシーではなく、ノーマルもしくはHi Resバージョンを選択すること。初めにInsideボタンをクリックする。オーケー、音が変だって?これが普通の状態だ。次にEffectボタンをオフにして、下にある水平スライダーを動かして、問題になっている周波数帯のあたりで0になるよう設定する。ベース・トラックなら、曲のキーやその時の天候、プレイヤーの体調にもよるけど、だいたい60〜170Hzあたりを探してみよう。

そしてEffectボタンを再度オンにして、Dynamicsのスライダーを、きついピークが和らぐまで下げていく。最後にMixをクリックする。驚きの結果になるはずだ。Mixモードを有効にしたまま全トラックと合わせて再生し、Dynamics Thresholdで完璧にフィットするまで微調整しよう。

では、この二つの例をレベルを同じにして較べてみる。どちらがよりファットで、パンチのある、かつうるさくないサウンドになっているかな?

次に自分がミックスした典型的なセッションを見てみる。いくつくらいのコンプレッサーが使われているか数えてみよう。レベルを上げるためでなく、トーンをコントロールするためにかけすぎの状態になっているトラックがいくつあるかな?これらのコンプをSuprEsserに差し替えてみるとどうだろう。次にコンプレッサーを使おうと思ったとき、その衝動を抑えてちょっと考える。本当にコンプは必要か?それとも問題になっている一部分だけを抑えて、その曲が安らかに呼吸できるようにはできないか?

僕の場合、SuprEsserを使い始める前と後のミックスの違いを明確に指摘できる。サウンドの特定部分のトーンだけをコントロールできることで、おそらく50%くらいコンプやEQをの使用頻度が減って、その音楽に含まれるすべてがより大きく、ダイナミックなサウンドになった。ミックスを以前に比べてよりハードで、ファットなサウンドに仕上げることができる。以前にも取り上げたけたけど、ベースの帯域とコンプレッサーがいつも仲良しでいる必要はない。

僕のように考える人なら、こう自問するだろう:トム・ダウドがアレサ・フランクリンと彼女のバンドを2トラックへリアルタイムにレコーディング、ミキシングしていた頃、彼はどうやっていたんだろう、と。彼はSuprEsserを持ってなかったんだよ!持っているわけがないよね。でも彼はテープと真空管、ニュージャージーくらいあるサイズのトランスをすべての入出力に使って、さらに世界でも指折りのミュージシャンを揃え、窮屈な6dBのダイナミックレンジにレコードを収める必要もなかった。これが当時のやり方だった。

でも僕らには、SuprEsserがある。

まず初めに:習慣化しているコンプレッションの扱い方に気をつける、でないと最後に大変なことになる。

もしくは:サイドチェインのテクニックを使って、ローエンドを保持しつつコンプレッションすることもできる。

やり方はこうだ:Oxford Dynamicsをインサートしたベース・トラックに戻ろう。さっきの設定のままなら、強めのコンプレッションでいい感じに潰れているはずだね?なら完璧だ。さあSidechain-EQのモジュールで、ベースを下げる(EQで220Hzかそこらを-10dBカットして、シェルビングとSC-EQスイッチを有効にする)。これでコンプレッサーのスレッショルドはEQされたシグナルに反応するけれど、クリーンなシグナルだけを処理する。ちょっと考えてみると、ここでやっていることは…コンプレッサーに向かって「よう(アメリカ人かイギリス人かで違うかな)、ここで送っているシグナルが実際にコンプしてもらいたいバージョンなんだ。ベースは入っていない、だからベースには反応しないでくれよな、オーケー?」と言っているわけだ。

サイドチェインを有効にすると、レベルがぐっと上がるのがわかるだろう、オフにするとまたガツッとコンプレッションがかかるはず。これは、サイドチェインがオンになると、コンプレッサーがEQを施したサイドチェイン・シグナルを実際のシグナルとして検知するので、ベースのエネルギーを抑えこまなくなるからだね。一丁上がり、というわけだ。気づいているかもしれないけれど、こうしたコンプレッサーのセッティングは、極端に設定しなければ、コンプしないバージョンに較べて、本当にコントロールの効いた、ファットなベース・サウンドを創りだすことができる。素晴らしいよね?

あー、そうだ。「ファットvsラウド」の問題とは何だったか?ふむ、ちょっと脇道にそれてしまったけれど、こうして考えてみると良いと思う: 決まった広さの部屋に何匹の象を詰め込むことができるか?これ以上無理だ、というくらいまで象を押し込むと、部屋がギシギシとおかしなノイズを発し始めるはずだ。同じことがミックスについても言える。これは次回、さらに追求していこう。

ここでEQのオフセットを6dB下げておけば、もともと素材にあった6dBのヘッドルームと合わせて、クリアな状態で10dBのゲインを得られるはずだ。

そう、これは本当にシンプルな問題だ。ミックスがクリップ寸前の状態では、各トラックのフェーダーをクリップなしに上げたり、EQで重要な部分に調整を加えることもできなくなる。つまり無償でゲインを手にいれることはできない、どのように加えるにしてもゲインはゲイン、ということだ。

もしこうした問題に注意を払うことが、音楽的じゃないと感じるなら、もっとシンプルに状況を考えてみよう。DAWの赤いクリップLEDは、君をイライラさせるためにあるわけではなく、イライラすることが起こりそうだと、忠告してくれている。そしてその原因は、音楽の上に居座ろうとする、でっかい象にあるんだ、と。

(Source: minet.jp)

それでも、このTipsを書く上で期待されていることでもあるので、僕がアコースティック・ベースドラム(マイクとプリアンプを使って、人間離れしたドラマーというプレイヤーが叩いて録音した素材)にOxford EQを使うときの、スタート・ポイント設定を書いておこう:

Oxford EQ、TYPE 3、5 band + filters

  • Hipass: 36dB/octave、35Hz、低域の「うなり」を抑える
  • Low: 40〜80Hz(ドラムによって異なる)、主に低域の力強さを調整する
  • Low Mid: 90〜200Hz、プリアンプ/マイクポジションによる、濁りを取り除く
  • Mid: 300〜800Hz、上記と同じ理由でこの帯域に設定する
  • Hi-Mid: 1〜2kHz、アタック感の調整
  • Hi: 10KHz〜(10kなんてベースドラムに必要?もちろん、きちんとレコーディングされたキットなら、ここを突くことで、込み入ったミックスに埋もれないサウンドが作れる)

eq_kick

eq_lf低域に一体何があるのかを学ぶために、いい方法がある。君が素晴らしいと思う曲に、Oxford EQをかけ、ハイパス・フィルターを36dB/Octに設定してから、20Hzから400Hzの間で、周波数をゆっくりと上げ下げしてみる。Oxford EQは非常にクリーンなフィルターを備えているから、帯域を上げていくと、フィルターで帯域が削れられ、様々な周波数帯がどのようなカラーを曲に与えているか、はっきりと区別できるだろう。さあ、試してみて。待っているからね。

ね、面白いでしょ?このやり方のほうが、特定の帯域をオーバーブーストする古典的な方法よりも、ローエンドを決定づけるスポットを見つけやすくなると、僕は思う。

音を彫り出す

こうした音を彫り出す作業に、僕はOxford EQのTYPE 2カーブを使う。TYPE 2は最も細いカット・カーブを備えている。シグナルを完全な状態に保ったまま、非常に細かい外科手術的な作業を可能にしてくれる。僕がボーカル用に使っているセッティングは…スタートポイントと言ってもいいかな、次のとおりだ。

Oxford 5-band + Filter: TYPE 2

  • Hipass: 36dB/octave、100Hz付近に設定。
  • Low: シェルビング、400Hz付近に設定。ボーカルトラックで起こりがちな、近すぎるマイクの低域部分を突くことができる。
  • Lo-Mid: 160Hz付近に設定。僕は生まれながらこの帯域を信用していないというか、あまり好きじゃない(個人的な好みの問題だと思う、気にしないで)。
  • Mid: 480Hz付近、鼻にかかる部分の問題に対処するために設定している。
  • Hi-Mid: 2.8kHz固定、これはデジタルっぽい耳障りな部分を処理するために使う。
  • Hi: シェルフ、10kHz付近、以前プリアンプなどで流行った、行き過ぎた10kHzのEQブーストを補正する。

eq_vox

(クリックで拡大)

さっきも述べたように、この設定はスタートポイントに過ぎない。実際の帯域は、曲のキー、ボーカリスト、マイク、気候、目指すべき色付け、政治的な理由などなど、様々な条件で変わってくるからね。

そして、自分の耳とバイパス・ボタンはいつでも君の親友だ。必ず、必ずだよ、EQをかけたトラックと、バイパスしたトラックを、レベルを揃えた状態でミックスに戻して比較すること。今やっていることが、サウンドを向上させているか、それとも台無しにしてしまっているか、常に確認しながら作業を進めよう。

2012/07/07

“ お前のことは知ってるよ。お前はこの素晴らしい新世紀のエレクトロニックミュージックの状況に嫉妬した、前世紀に取り残されたレコード会社やジャーナリスト崩れのケツの穴みたいな奴だ。お前やお前の仲間が興味を持っているボタンはパレスチナ人に落とす核爆弾のボタンだけだろ。お前は俺たちが25年かけて育ててきたこのシステムの中にやってきて、お前に金を払ってくれる勤勉な人々を騙し、誠実なプロモーターから金をまき上げ、システムから大金を奪った後には、俺達の顔に唾を吐きかける。お前はみんなを騙してるんだ。お前のようにフェイクなやつらが沢山いることは認める。お前の使ってるソフトウェアを使うのは簡単だ。お前を止める方法を見つけてやるから心配するな。貪欲なネズミ頭のファック野郎め。 „

Deadmau5「テクノ(EDM)のライブはみんな再生ボタンを押してるだけ」論争に考えるテクノのライブ : matsu & take

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